プロフィール
ハンディやしき
【生年月日】 1977年(昭和52年)8月23日
【血液型】 A型
【出身地】 石川県能美市
【サイズ】 身長161cm
洋服サイズ レディース・キッズサイズ
足のサイズ 25.5cm
【趣味】 舞台鑑賞・映画鑑賞・絵画・料理・ファッション
【資格】 スキー(SAJ検定1級) 野菜コーディネーター アロマハーリッチ・アロマセラピスト
【SNS】Facebook,twitter,instagram ,
YouTube「ハンディやしき」で検索
レギュラー出演
【テレビ】
■石川さん情報live リフレッシュ (石川テレビ)
月曜~金曜 9:55~10:50
(2014~2019)
【ラジオ】
■ハンディやしきの5時までGoGo! (MROラジオ 1107kHz)
月曜~金曜・日曜 16:55~
■柴野大造 能登町ストーリー(ラジオかなざわFM78.0MHz)
金曜日 8:00~8:30
■摩耶の刺激的好奇心(ラジオこまつFM76.6MHz)
水曜日 19:00~19:30
【CM】
■Panasonic「IHクッキングヒーター据置タイプ 」
■トヨタ自動車「新型プリウス」
■NTTドコモ「だから私は、Xperia。」
■パチンコホームラン
■ふるさとCM
■焼肉のたれ「宮殿」
■SUBARUアイサイトツーリングアシスト
■ピザーラ
【ユニット】
■2017年~マジシャンKAZさんと「2HAND’S(ツーハンズ)」を結成
通販+マジックの新型エンターテイメント
ハンディやしき物語
【芸能界を目指し上京】
地元石川県の高校を卒業後、芸能界を目指し上京。
芸術系の専門学校へ入学する。
在学中から歌、演技、ダンスなどのオーディションを受けまくる。
そして落ちまくる…。
あるオーディションの時、審査員から「喋りがうまいけど、そっち方面はどう?」と聞かれ、「喋りで人前に立つってのもありかぁ」と、その縁からワタナベエンターテインメントに入る。
【お笑い芸人時代】
当時、時代は空前のお笑いブーム。
ボキャブラが大流行し、お笑い芸人が次々とスターになる時代。
事務所の先輩「ネプチューン」が目の前で大ブレイクしていくのを目の当たりにする。
「俺も売れたいっ!」
その想いから、お笑い芸人として活動を開始。
漫才コンビ「てりゅう弾」を結成しツッコミを担当する。
が、全く売れずにあっけなく解散…。
しかしその後思いもよらないできごとが。
ピン芸人になった元相方がまさかの大ブレイク!
その相方とは「ヒロシです」でお馴染みの、あの「ヒロシ」です。
ビックリすると同時にかなり落ち込む…。
「俺だって売れたい…。」
心機一転、マセキ芸能社に移籍。
2001年にお笑いコンビ「こんらんチョップ」を結成しツッコミを担当。
3人の繰り広げるコントが評判となり、ライブハウスのコンテストでは数々の賞を獲得。
その実力はアンタッチャブル柴田に「なぜ売れてないのか分からない」 と言わしめるほど。
「ぐるぐるナインティナイン」 「あらびき団」 「笑っていいとも!」など数多くのテレビ番組に出演するもブレイクには至らず(泣)
同時期にしのぎを削ったライバル達が次々とブレイクしていく中、2008年惜しまれながら解散…。
その時のライバルには、「サンドウイッチマン」や「ナイツ」「オードリー」「小島よしお」、同じ事務所の仲間には「狩野英孝」「いとうあさこ」らがいた。
またしても自分は売れない…。
【通販マンへ】
そんな失意の中、転機が訪れる。
5分間で1億円を売り上げた伝説の通販マン「ベガス味岡」に出会い、弟子入り。
通販マン「ハンディやしき」として活動を始める。
ここで才能が開花。
1日でハンドバックを150万円売り上げるなど、実演販売士として力を発揮。
その模様が日本テレビ「ヒルナンデス」で紹介される。
通販マンとしてショップチャンネル出演時には、固形洗剤「ピエールダルジャン」2000個を40分で売り切る。
その実力が認められ、富士通、NTTドコモ、アイリスオーヤマなど大手企業の商品紹介VTRに次々に起用される。
同時に全国のショッピングモールでスタートさせた実演販売ステージが評判に。
その様子がドコモショップの販売研修用VTRとなる。
その後は実演販売だけでなく、テレビショッピングのレポーター、イベントMC、司会、俳優と活動の幅を広げる。
ようやく仕事も軌道に乗り、忙しくなってきたところでまたしても転機が訪れる。
ある年の帰省中。
久しぶりに目にしたのは、いつも元気だったはずの両親の病気がちな姿。
「父ちゃんも、母ちゃんも歳とったなぁ…」
気付けば自身もとっくに35歳を過ぎていた。
「俺は2人を田舎に置いてこのままでいいのか?両親のそばにいるべきではないのか?」
やっと仕事が軌道に乗ってきたのに、地元に戻ればまたゼロからのスタート。
高校まで暮らしていたとはいえ、仕事的にはコネも実績も無い。
不安が重くのしかかる。
東京に戻り忙しい日々が続くが、「このままでいいのか?」と自問自答を繰り返す毎日。
そんなある日、地元の友達から1本の電話が。
「今のままでどうなん? どうすれん?」
(今のままでいいの? どうすんの?)
この一言で全てが決まった。
「これからは自分を育ててくれた地元、そしていつも応援してくれる両親のために働こう!」
【石川県へ拠点を移す】
そして2014年より地元石川県に活動の拠点を移す。
知名度など無い、まさにゼロからのスタート。
しかし東京での経験がここで活きてくる。
13年の芸歴で身に付けた笑いのセンスと、どんな小さなボケも見逃さない的確なツッコミ。
販売士として身に付けた高いコミュニケーション能力を武器に少しづつ仕事を獲得。
「全ては無駄ではなかった。」
現在石川県を中心に富山・福井などでテレビ、ラジオ、イベント司会などで活動中。
2014年7月からは石川県「能美市の観光大使」に、2016年2月からは「石川県観光特使」に任命され、故郷を全国にPR中です!
能美市観光大使
のみ農げんき宣伝大使